Jリーグ開幕当初からエスパルスの顔としてチームを支えてきた、長谷川健太、堀池巧が1999年シーズン限りで現役を引退、田坂和昭、興津大三らも他クラブへ去り、装いも新たに迎えた2000年のエスパルスだったが、4月にアジア・カップウィナーズ・カップを制してアジアNo.1の座につき、春先からタイトルを手中に収める上々のスタートを切った。
一方、Jリーグでは対戦した相手の徹底したマークにあい、前シーズンに見せたパスワークが封じ込められ、1stステージは3位と健闘を見せたものの、2ndステージでは13位と低迷した。これを受け、ペリマン監督は同季限りでの退任を表明。これに伴い、ユース総監督から昇格したゼムノヴィッチ新監督が就任することとなった。
迎えた天皇杯、苦戦を強いられながらもファイナル進出を果たしたエスパルス。決勝では鹿島アントラーズ相手に苦杯を嘗めたものの、5年にわたる「アルディレス―ペリマン」体制が築いたサッカーの質の高さを改めて証明する結果となった。
なお、この夏に行なわれたシドニー五輪に、オーバーエイジ枠で森岡隆三が出場。また、ジュニアユースチームが高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会優勝を飾った。