2014年シーズンは、クラブにとって最も過酷なシーズンとなった。
前年度リーグ12得点を挙げ大宮のチーム得点王だったノヴァコヴィッチを獲得。これまで作り上げた土台から、さらなる飛躍を望める充実したメンバー構成となった。J1開幕・名古屋戦は、そのノヴァコヴィッチの決勝ゴールで、実に7年ぶりの開幕戦勝利。また、3年間の期限付き移籍から復帰した、FW長沢駿の5戦連続ゴールなども、ゴトビ監督4年目のシーズンが順調にスタートしたことを印象付けた。
歯車が狂いだしたのは、4月の公式戦5連勝のあと。第10節鹿島戦以降、リーグではブラジルワールドカップによる中断まで一度も勝てず、Jリーグヤマザキナビスコカップも3連勝から3連敗を喫し予選突破を逃した。
中断期間は御殿場キャンプで巻き返しの準備を整えた。ところが、その後も成績は上向かず、アフシン・ゴトビ監督は第17節柏戦でリーグ8戦ぶりの勝利を挙げたものの、この試合を最後に解任。当時エスパルスユースを指揮していた大榎克己監督が、トップチームの監督に就任した。
なかなか成績に反映されず、第25節G大阪戦に敗戦し15位となり、降格の危機が現実的に。大榎監督は残り9試合に「残留」という目標を明確化した。選手同士の決起集会、本田拓也の副キャプテン就任、クラブ全体の集合写真、そしてサポーターの寄せ書き。残留に向け一致団結し、それぞれができることに取り組んだ。 運命のかかった最終節はまさに死闘だった。勝ち点1を獲得すれば自力で残留が決まる。しかし、負ければ…。アイスタに約2万人のサポーターが見守るなか、最後までゴールを割らせなかった守備陣の奮起もあり、歓喜のドロー。最終節で残留を決め、クラブ史上初のJ2降格は免れた。