長谷川健太・新体制の初年度は、痛みを伴うシーズンとなった。序盤から勝ち星に恵まれず、チームは第7節でようやくリーグ戦初勝利。その後は激しい闘いを繰り広げるが、終盤はケガ人の影響などで残留争いを余儀なくされた。
チームをJ2降格の危機から救ったのは途中加入のマルキーニョス。前年に続いてクラブワースト記録更新となる年間順位15位に沈んだエスパルスのなかで、14試合で9得点とゴール前での鋭い嗅覚を存分に発揮した。
難局が続きながらも、枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら新人選手の積極的起用など、長谷川監督の強い信念のもとチームは着実に力を付けていく。一年目の指揮官が標榜するサッカースタイルに対し、選手たちは全幅の信頼を置き、直後の天皇杯では準優勝という形で成果を残すこととなった。
このシーズンはユースチームがJユースカップ優勝を飾った1年でもあったが、有望な若手にあとを託すかのごとく、エスパルスで最も愛された男がピッチを去った年でもあった。リーグ戦終了後に澤登正朗が現役引退。クラブの一時代を築き、“ミスターエスパルス”として親しまれた背番号10のプレーヤー人生は、2005年シーズンをもって幕が下ろされた。