1993年のJリーグ開幕から23年間、常にトップカテゴリーでしのぎを削って来たエスパルスが、J2への降格という憂き目を見たシーズンとなってしまった。
元ナイジェリア代表のピーター ウタカ、オーストラリア代表の経験もあるミッチェル デュークを獲得。また日本人選手では、枝村匠馬、八反田康平、犬飼智也、白崎凌兵など期限付き移籍で経験を積んできた選手が続々と復帰した。
開幕戦の相手は、前年度リーグ3位の鹿島。エスパルスは「オレンジ山脈」と呼ばれた、身長180センチ以上で本職がセンターバックである選手をディフェンスラインに4人並べる戦術で挑んだ。その強固な守備陣が鹿島の攻撃を跳ね返し続けると、攻撃では大前元紀の2得点という活躍もあり快勝。
最高のスタートを切ったかのように見えたが、以降成績は安定しなかった。第14節川崎F戦では石毛秀樹の2得点など、平均年齢23.91歳のメンバーが真っ向勝負に競り勝ったように、若手が著しい成長を見せた試合もあった。一方で、シーズン当初から課題に挙げていた守備の面で綻びが見え、失点を減らすことができなかった。この年から復活した2ステージ制で、エスパルスは1stステージ最下位に終わる。
リーグ中断期間は、前年に続き御殿場キャンプが行われた。そのキャンプ中に、同年5月まで大分を率いていた田坂和昭氏がヘッドコーチに就任し、体制を新たに2ndステージでの巻き返しを誓う。
だが、2ndステージ開幕戦で神戸に0-5大敗。一度狂った歯車はなかなか元には戻らず、大榎克己監督が第5節横浜FM戦の2ndステージ初勝利を最後に辞任する。エスパルスは2季連続のシーズン途中の監督交代となった。
後任には田坂ヘッドコーチが就任。水原三星ブルーウイングスから獲得した鄭大世、川崎Fから期限付き移籍で獲得した角田誠など経験のある選手を獲得し、同時に選手の意識改革に努めるも、すぐに結果には現れない。
そして、ついにその時は来た。
第14節仙台戦に敗れ、他会場の結果でエスパルスにとって初めてとなるJ2降格が決定。サポーターの願いも虚しく2ndステージで17位、年間の順位でも17位と前年の悔しさを活かすことが出来なかった。来季は22チームが集まるJ2という厳しい舞台で、チームの輝きを取り戻すことになる。