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アプリ【期間限定無料公開】「100試合目の第一歩、チームプレーに徹する美学」宮本航汰インタビュー前編

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10月24日~11月2日期間限定でプレミアム会員コンテンツの一部を無料公開! 本日は宮本航汰選手のロングインタビューを掲載いたします!

~100試合目の第一歩、チームプレーに徹する美学」」宮本航汰インタビュー前編~

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~「出られなくても、しょうがないか」と思ってしまった~


宮本航汰は少し後ろめたそうな顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。「申し訳ないですけど……あまり覚えてないんです、1年目のことは」

2015年10月17日。エスパルスに関わる多くの人の胸に、傷跡のように刻まれている苦い記憶――クラブ史上初のJ2降格が決まった日。しかし、宮本は当時の記憶が曖昧にしか残っていない。「……あの1年は本当に何もしてないし、できなかった。プロの世界がどういうものか分からないままあっという間に過ぎて、『内容がない』と言ったら言い過ぎかもしれないですけど、自分が何かできた、成長したと感じる部分は何もなかった。チームが降格してしまい、申し訳ない気持ちもありますが、今振り返っても『自分は何をやってたんだろう』っていう虚しさが一番強いです」

念願だったトップチーム昇格を果たし、晴れてプロサッカー選手として歩み始めた1年目。J1の舞台を一度も踏むことなく、悔しさや不甲斐なさばかりが募った。しかし、それ以上に許せなかったのは「1年目だからって『出られなくても、しょうがないか』と思ってしまって、何もしようとしなかった。自分に弱かった」という自身への甘えだった。

そんな宮本にV・ファーレン長崎から声が掛かったのは、2年目のシーズンに向けてチームが始動する直前のことだった。高木琢也監督(当時)がどんなサッカーを志向しているのか詳しいことは分からないまま、宮本はすぐに「行きたい」と返答し、期限付き移籍が決まった。

「その時はとにかく『外に出てみたい』気持ちが強かったです。長崎のサッカーのことはよく知らなかったけど、練習が厳しいということだけは聞いていました。僕はアカデミーからずっとエスパルスにいて、決して『ユースが甘い』というわけではないですけど、高体連のように素走りや筋トレがメインの練習をしたことがあまりなかったですし、ひょっとしたら自分に足りないものはそういう部分かもしれない。そう思ったのが移籍のきっかけでした」



もともと「体力には自信があった」という宮本でも、長崎での練習は評判どおりに厳しかった。「もちろんキツかったですよ(苦笑)。3部練の日も普通にありましたし、朝早い時間、まだ日が昇る前の真っ暗い中で練習したことも。練習内容では、球際やフィジカルの部分がかなり鍛えられました。当時の僕はまだまだ身体の線が細くて、どうしても気持ちの部分で負けてたり、練習中はケガをしないよう抑えてプレーしてしまう部分があったんですけど、そんな甘いプレーをしていたらチームメイトから厳しい声が飛んでくる。それが当たり前だったので、必死に練習についていきながら、どうしたら自分らしさを出せるのか考えながら過ごしました」

長崎には2シーズン在籍し、J2リーグ29試合、天皇杯3試合に出場。以前よりも身体つきはガッシリとし、リーグ戦に出場することでしか味わえない充実感も覚えた。

2018シーズンは当初、エスパルスに復帰する予定だったが、大木武監督(当時)率いるFC岐阜からのオファーに宮本の心は揺れた。「長崎時代に岐阜と対戦した時から、『大木さんのサッカーって面白いし、対戦相手としてやりづらいな』と思っていたので、オファーが来たと聞いた時、エスパルスに戻りたい気持ちと岐阜に行ってみたい気持ちで迷いました。それで、『大木さんのもとでサッカーがしたい』という方を選んだんですけど、今となってはあの時の決断が、今までで一番のターニングポイントだったのかなと思います」



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~《宮本航汰》っていう人間が確立されてきている~

宮本の学年はエスパルスアカデミーにおける“黄金世代”と称され、宮本とともに北川航也(現SKラピード・ウィーン)、水谷拓磨(現AC長野パルセイロ)がトップチーム昇格、さらには西澤健太、鈴木翔太(藤枝MYFC)が大学経由でプロ入りを果たしている。2学年上の石毛秀樹は、初めて宮本のプレーを目にした時の衝撃を今でも忘れてはいない。

「ジュニアユースは最初、学年ごと別々で活動するのでプレーを観る機会がなかったんですけど、たまたま俺たちの練習が終わった後に航汰たちが試合をしているのを見かけた時、航汰のプレーには正直、度肝を抜かれました。中学1年ってドリブルでガチャガチャとプレーする選手が多いなか、航汰はすでに『止めて蹴る』の技術がしっかりしていて、スペースをちゃんと見分けてポジションを取っていた。『この歳でこんなに大人びたプレーをする選手がいるんだ』というのが第一印象でした」(石毛)

岐阜への移籍は、それらの彼の特徴により一層磨きをかける時間となった。「アカデミーの頃からずっとそうなんですけど、自分の特徴はドリブルや個人技でどうにかするタイプじゃないので、仲間の手助けを受けながらボールをつないで、みんなで崩す。力を借りて、力を貸してっていうチームプレーこそサッカーだなっていう考えはずっと持っていて、ユース時代はそれを何となくプレーで表現していたのが、大木さんの指導を受けて、より理論的に理解できるようになりました。大木さんは練習メニューの意図まで明確にミーティングで話してくれるので、大木さんが形にしたいサッカーというものがイメージしやすかったですし、周りの選手の意図も汲み取りやすくて、すごくプレーしやすかったです」


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岐阜ではチームの主力を担い、1年目は出場停止だった最終節を除く41試合に出場。2年目はケガもありながら25試合に出場と経験を積んだ。そのなかで「攻守の切り替えを早くすることと、プレー中に歩かない、止まらないこと」を身につけ、目指すサッカーを貫く美学も学んだ。

「大木さんが目指すのは攻撃的でボールを保持するサッカー。芯が通っていて、ブレない姿勢は大木さんから伝わってきましたし、どこに行っても『大木さんのサッカーは面白い』って話は聞くので、外から観ている人にも伝わっていたのかなと思います。やっぱりプレーしている選手が楽しくなかったら観る側も楽しくないと思うし、来てくれた人に満足感を与えられるような、『また観に来たい』と思ってもらえるような試合がしたい。岐阜ではそれができた試合も何度かあったんじゃないかという手応えもあります」

「もちろん理想だけでなく勝ち点を積み重ねていくことも大事にしていて、岐阜にいた時はJ1に上がるために本気でやっていました。それらすべての経験が濃かった。長崎で高木さんに厳しく鍛えられて、岐阜で大木さんの魅力的なサッカーに触れて、今の自分がいる。そのなかで気づいたのは、(ピッチの中で)どこにでも顔を出すことはやめちゃいけないってこと。やっぱり自分の持ち味はハードワークして、周りをサポートすることだし、それがチームのためになるんだっていう意識がより強くなりました」

今シーズン、5年ぶりにエスパルスに復帰した宮本を見て、石毛は「いろいろな監督、選手、戦術の中で経験を積んで、航汰の中で《宮本航汰》っていう人間がしっかり確立されてきている」と感じるのだという。昨シーズン終了時点でのリーグ戦出場数は、Jリーグ・U-22選抜で記録したJ3リーグも含めて「99」。100試合の大台を目前にして、宮本は「この4年間での自分の成長を確かめるのが楽しみ」と期待に胸を高鳴らせながら、再びオレンジのユニフォームに袖を通した。

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■後編につづく


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