昨シーズン限りで現役を引退し、25歳という若さでフロントスタッフ入りを果たした齊藤聖七さん。自身もエスパルスユース出身であるという経歴や、キャプテン経験をはじめとしたコミュニケーション能力を買われ、「育成部スカウト担当」に就任した。セカンドキャリアスタートの機に、心境や今後への決意を聞いた。
公開日:1月31日/取材・文=平柳麻衣
どんどん自分のプレースタイルが変わっていった
――現役生活お疲れ様でした。25歳での引退は、相当悩んだのではないかと思います。
「悩みましたね。前々から(育成部スカウト担当の)話は軽くもらっていたんですけど、正直、選手としてやり残したことはたくさんあったし、まだまだやりたい気持ちがあったので、その話には見向きもしていませんでした。でも、昨季限りで契約満了の通知をもらった時に改めてウエクさん(植草裕樹 育成部スカウト担当)から本格的にお誘いをいただいて、そこからは本当にいろいろなことを考えました。
そのなかで自分としてはJリーグよりも下のカテゴリーでサッカーを続けていくという考えはありませんでした。というのも、もちろんサッカーは大好きだし、プレーする楽しさややりがいはありますけど、カテゴリーを下げてからまたこの舞台まで這い上がってくる覚悟とメンタルが自分にはなかった。流経大の時もそうでしたけど、周りがエリートばかりの厳しい環境の中でそういう考えに至ってしまっている選手って、やっぱり途中で辞めていくんですよね。
僕は今まで22年間サッカーを続けてきて、そういう気持ちになったことが一度もなかったし、『俺はまだ大丈夫』と思い続けることができていたんですけど、今回ばかりは自分の中でどんどん自信を失っていて、このまま続けても選手としてはサッカー界で生き残れないだろうなと思いました。と同時に、日が経つにつれてスカウトの仕事に魅力を感じるようになって、天秤にかけたときに、新しい挑戦をしてみたいという気持ちがどんどん大きくなり、今回の決断に至りました」
――プロキャリアの中ではケガに悩まされることも多かったのでは?
「あまりケガを言い訳にはしたくなかったので言ってこなかったですけど、大学3年生の時に初めて軟骨のケガをして、それ以降、合計したら軟骨のケガだけで2年ぐらい離脱してきたと思います。ケガをして、リハビリして、復帰して、というのを何回か繰り返しているうちに、どんどん自分のプレースタイルが変わっていったんですよ。
もともとはセンターフォワードをやっていたり、ドリブルが好きなので縦にガンガン仕掛けたり、足も速いほうだったのでスピードでちぎることもありました。でも、ケガをするたびにそういうプレーができなくなっていってることも自分の中では感じていて。群馬ではケガで出遅れた後、ボランチで起用してもらって楽しさを見出してはいたんですけど、やっぱり自分が一番得意なのは前とかトップ下なので、そっちで勝負したい。でも思うようにプレーできない。じゃあ俺はどこでアピールして、どこでプレーしたいんだ?と、自分の中でもどうしたらいいか分からず、ずっと迷いながらやっているところはありました」
――現役生活で印象的な思い出はありますか。
「デビュー戦はルヴァンカップの川崎F戦で、結果もついてこず、プロの壁を痛感しました。その後、アイスタデビュー戦ではセットプレーから得点に関与することはできて、自分が出て勝ったことも、アイスタで『勝ちロコ』ができたこともすごく嬉しかったし、楽しかった思い出です。ただ、レベルが高い人たちと一緒にサッカーができたことは良かったですけど、こうやって振り返ってみると、楽しかった思い出より、苦しくてもがいている時期のほうが印象に残っているかもしれないです。
とくに、去年の天皇杯の広島戦。あの週はケガ人が結構戻ってきていた中で、自分も調子が良くて、メンバー入りすることができたんですよ。スタッフの評価を聞いても、これは出番がありそうだと感じていたんですけど、結局出られなかった。あの試合は自分的に相当喰らいましたね。プロになるまではずっと試合に出ている身だったのが、プロ3年間はほとんど試合に出られなくて、『これだけ良い準備をして、自分の調子が上がっていてもダメなんだ』と。それが引退の決断につながったわけではないですけど、かなり刺さりました」
――ただ、そのように常に自分のベストを尽くしたという意味では、3年間やりきったと言えますか。
「そうですね。メンバーに入れなくても、現状の自分のベストコンディションまで持っていったことは何回もあったし……。でも、その広島戦の翌週、練習で身体がすごく動けていて、『このままやっていけば行ける』という感覚を掴めていた矢先、足首のケガをしてしまったんです。もう一瞬にして腫れ上がってきて、歩けなくなってしまいました。やっぱり3年目のシーズンに懸けていたところはあったので、自分に対する評価の低さも悔しかったし、ケガも重なり、苦しさを押し殺しながら日々過ごしていました」
熱心に誘ってもらって、心を持っていかれました
――それほど苦しい思いをしながら過ごしてきたエスパルスで、セカンドキャリアをスタートさせる決断に至ったのはなぜでしょう。
「それこそ契約満了の通知をもらった時は、『もうオレンジなんて見たくない』という気持ちにもなったし、どこか別のところへ行って見返してやろうとも思いました。でも、ウエクさんと2時間ぐらい話して、本当に熱心に誘ってもらって、心を持っていかれましたね」
――どんな言葉が印象的でしたか。
「『25歳の若さでフロントスタッフに入るというのはなかなかない話で、それでも誘ってるのは聖七の立ち居振る舞いとかを見てきたからだ』って。それはプロになってからの話だけではなく、ユース時代も大学時代も、常に誰かが見てくれていて、“齊藤聖七”という人としての評価があるからこの役職に誘ってるんだと。人とのコミュニケーションや挨拶、礼儀とかは中学時代のFCパルピターレやエスパルスユースで教え込まれてきたことで、『スカウトになったら選手だけでなくたくさんの指導者や親御さんとコミュニケーションを取らなきゃいけなくなるけど、聖七なら絶対できるから』とウエクさんに言ってもらって、俺ってそういうふうに見られてたんだってことが新鮮でした」
――サッカー以外の部分での評価は、現役時代はあまり聞く機会がなかったかもしれません。
「そうなんですよ。もちろんサッカーで評価されるのも嬉しいですけど、今回違った目線から評価をもらって、俺の生き方のベースを認めてもらえたのがすごく不思議な感覚かつ嬉しかったというのが大きかったですね」
――育成部スカウト担当の話をもらった時、ご自身がエスパルスユースに入った時のことを思い出しましたか。
「もちろん。当時は育成スカウトという役職がなくて、自分もスカウトされたわけではなく、FCパルピターレのオーナー兼監督さんがエスパルスとつながりがあって推薦してくれたので練習参加できたんですけど、加入するとなってからの平岡(宏章)さんや育成部長(当時)の伊達(倫央)さん、山下(芳紀)さんたちの対応は、今思えばすごかったんだなって。ユースに入るとなれば家を出て寮に入らなければいけなかったので、お母さんに対しても丁寧に対応してくれていたし、中学校まで来てくれたことも覚えています。実際にユースに入ってからは、俺も含め県外出身組にとっては“お父さん”のような存在で、試合後のちょっとした声掛けから日頃の生活まで、本当に温かく接してもらったなと思います。
そういう記憶が根源にあるから、それが今の僕の清水エスパルスに対する愛に繋がっているのかもしれないなと思います。だって、一度は『見返してやる』とまで思ったのに、結局はサッカーを辞めてまで清水に残るんだから、僕の愛は相当なものですよ。もちろんそれはクラブに対してだけではなくて、お世話になった方々へ。僕はいろいろな人に手を差し伸べてもらってここまで来られたので、今度は自分が手を差し伸べる側になりたいし、それってすごく魅力的な仕事だなと感じています」
育成からトップチームへの良い循環を
――植草スカウトの尽力もあり、近年エスパルスユースは県外からの有望選手の加入が増えています。この現状について、ユースOBとしてどう思いますか。
「もちろんアカデミーとはいえまず強くなければいけないし、エスパルユースはプレミアリーグにいなければいけないと思うので、有望な選手を集めることには僕も賛成です。実際、自分自身も県外から来たし、県内選手だけでなく、外から来た選手も含めて化学反応を起こしていくというのは良い取り組みだと思います。一方で、僕はまずこれからジュニアユースに入る選手たちを担当するので、小学生のスカウトが主な仕事となります。『まずは県内を中心にしっかり見てほしい』と言われていて、ジュニアユースから清水エスパルスのエンブレムを背負う重みをしっかりと感じながら育ってもらい、ユースに上がったら県外出身選手たちと融合していくイメージです」
――小学生がスカウト対象となると、それこそ親御さんとのコミュニケーションが大事になってきそうですね。
「そうですね。自分が親だったら、小学生の子どもを預けるとなると心配事も多いだろうし、しっかりフォローしていければと思います。『まずは県内』と言っても静岡県は広いので、この前も磐田に行って、島田に行って、三島に行って……と。体力仕事にはなりますが、そこは若さを生かしていきたいなと思います。県トレセンに選ばれているような有名な選手はもちろん、そこから漏れている選手も自分の活動力で発掘していきたいです。今季から育成部長になった(高木)純平さんからは、ジュニアユース清水とジュニアユース三島を同じぐらいのレベルまで引き上げて、競わせる存在にしていきたいという話もあったので、三島を中心に県内東部のほうでも活動していければと思います」
――まだセカンドキャリアは始まったばかりですが、今後の目標はありますか。
「まずは働きまくって、動きまくって、『エスパルスのスカウトと言えば、齊藤聖七だよね』と言われるぐらい顔を広げたいですね。今季から兵働(昭弘)さんがユースのコーチになって、そういう道もあるのかと思いましたけど、ひとまず自分はスカウトという仕事を全うしたい。その先に、自分の経験をクラブに還元していく道があったらいいなと思いますが、そこまでいくにはまだまだ先のことだと思うので、まずは自分の立場で頑張るだけです」
――最後に、エスパルスサポーターの皆さんへ。
「バルセロナのカンテラをはじめ、世界を見ても育成年代から選手を育てているクラブはたくさんあります。エスパルスもそういうクラブを目指していますし、OBとしてそこに携われることは本当に幸せなことだと思います。育成からトップチームへの良い循環を生み出せるように、エスパルスのアカデミー=強いという印象を保ち続けるために、Jリーグクラブの中でも育成と言えばエスパルスというような存在にしていきたいです。そのためにサポーターの皆さんにもトップチームだけでなく、育成のほうにも興味を持っていただけたら嬉しいです。育成部の公式Instagramなどでもいろいろ情報発信されているので、ぜひフォローして、アカデミーの応援もよろしくお願いします」
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