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チラ見せ!「S-PULSE NEWS」S-PULSE PLAYER ―歴史を彩るオレンジ戦士たち【MF編①】

デジタルブック版「S-PULSE NEWS」2022年4月号 VOL.287に掲載された記事をチラ見せ!


2022シーズンにクラブ創設30周年を迎えるエスパルス。《オリジナル10》として、日本サッカー界を駆け抜けてきた30年―。「歓喜」「勇気」「希望」を我々に与えてくれた、忘れ得ぬオレンジ戦士たちをポジション別に振り返る。

文=望月文夫




 現在では『ボランチ』と表現するのが一般的だが、以前は『ディフェンシブハーフ』と呼ばれていた。文字通り、中盤を形成する選手の中で、後方でより守備的な役割をする重要なポジションだ。Jリーグ創設時からのオリジナル10として日本サッカー界をけん引してきたオレンジ軍団も、クレバーで豊富な運動量が要求される重要なポジションに、多くのOBを輩出してきた。

草創期にプロ意識を植え付けた闘将三浦泰年

 ボランチとして最初に強烈な印象を与えたのが、Jリーグ参入が決まった1992年にスター軍団の読売クラブ(現東京V)から加入した三浦泰年だ。「カズ」こと三浦知良の兄で愛称は「やっさん」。静岡が生んだレジェンドの一人である。初代キャプテンを任され、同期の『清水東三羽烏』と呼ばれた長谷川健太、大榎克己、堀池巧らとともに草創期のチームをけん引した。


 当時のフォーメーションは中盤4人がダイヤモンドを形成し、その底に位置する1ボランチが主流で、当初は大榎が担当していたが徐々に三浦にシフトした。より攻撃的なポジションで大榎を起用したいというチームの意向もあったからだ。


 攻守をつなぐ要となった三浦は、前線やDF陣とスムーズな連携を構築。ピッチ上では「相手にメンタルで負けたら主導権は握れない」と時には厳しい言葉でチームメイトを鼓舞し、ピッチ外でもプロとしての心構えなどを後輩たちに伝授する強いリーダーシップでチームの底上げに貢献した。「試合に勝ちたいなら、まず気持ちで負けないこと」と言い続けた当時のレオン監督も、闘将三浦を高く評価。そのリーダーシップや左右のサイドバックもこなす高いユーティリティ性などが日本代表スタッフにも評価され、94年アメリカ・ワールドカップ前年のアジア最終予選メンバーにも招集された。


全文はエスパルスニュース2022年4月号に掲載。

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