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チラ見せ!「S-PULSE NEWS」S-PULSE PLAYER ―歴史を彩るオレンジ戦士たち【MF編②】

デジタルブック版「S-PULSE NEWS」2022年5月号 VOL.288に掲載された記事をチラ見せ!


2022シーズンにクラブ創設30周年を迎えるエスパルス。《オリジナル10》として、日本サッカー界を駆け抜けてきた30年―。「歓喜」「勇気」「希望」を我々に与えてくれた、忘れ得ぬオレンジ戦士たちをポジション別に振り返る。

文=望月文夫




 ゴールやアシストで勝利に貢献したFWはもちろんだが、攻撃の起点となり試合の流れを変えるオフェンシブなMFにも同等、もしくはそれ以上にスポットライトを当てるのが、サッカーどころ『静岡流』かもしれない。中盤で試合をコントロールし、時に強いキャプテンシーで勝利へと導く歴代のオレンジ戦士たちが、アイスタのピッチで輝きを放った。

強心臓でけん引したミスターエスパルス

  1992年Jリーグ初の公式戦となったナビスコ(現YBCルヴァン)カップから始まった草創期。ミランジーニャ、エドゥーらブラジル人選手や、クラブ契約第1号として地元に戻った大榎克己らとともに攻撃的MFとしてチームの上位争いに大きく貢献したのが、92年の大卒ルーキー澤登正朗だ。


 東海一(現・東海大付属静岡翔洋)高時代は、全国高校サッカー選手権で優勝、準優勝を経験。東海大時代も92年バルセロナ五輪を目指す日本代表を主将としてけん引し、若くして広い視野と高いテクニックで存在感を高めた。


 澤登は大榎らに次ぐクラブ第3号(第2号は長谷川健太)として契約。大学や高校からの新卒選手にとって、日本リーグに母体を持たないクラブへの加入には不安があった時代。地元を代表する3選手の加入が、他の選手への不安を一掃することになった。


 クラブ3代目主将となった96年にはクラブ初タイトルのナビスコカップ優勝に導き、99年には初のステージ優勝も達成。ピッチでは強いメンタルで周囲を鼓舞し、いつしか『ミスターエスパルス』と命名された。


 99年磐田とのチャンピオンシップ第2戦では、アレックスが退場した直後に直接FKを沈め、大舞台で強心臓ぶりを発揮した。数的劣勢にも逆転劇を引き寄せ1勝1敗でPK戦へ。敗れはしたものの、年間獲得勝点65は同2位柏の58を大きく上回り、事実上年間王者の戦いぶりを披露。スティーブ・ペリマン監督は、最大功労者として澤登の名を挙げた。


 そしてオレンジ一筋に14年間プレーし、日本代表として国際Aマッチに16試合出場3得点など多くの記録と記憶を残し、05年限りで現役を引退。その後解説者や大学監督などを経て、今年からエスパルスユース監督に就任した。05年11月のラストゲームでスタジアム中が涙してから17年、指揮官としてエスパルスに『帰還』する形となった。


 そのミスターエスパルスとともにプレーした選手は他にもいる。


全文はエスパルスニュース2022年5月号に掲載。

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